ですちごと

今一度輝きたいアンデッドです。ゲーム実況にもあそびにきてね。

自己肯定感が高いとはダメな自分を認めるということ

https://diamond.jp/articles/-/233580

自己肯定感が低いのは自己評価が高いから - Togetter

 

このような感じで自己肯定感が低い人間は自己評価が高い傾向にある。と言われる。詳しくかみ砕く気力なんてないから、こんな文章読まなくてもいいからリンク先に言ってほしい。

 

「自分に期待するレベルが高く、しかし現実の自分はそうではないから自己肯定感が低くなる」

 

というのが主張の核。なるほど。と思い読んだ。

 

私は自己肯定感が言うまでもなく低い。

いつも何らかの劣等感に苛まれ、ふつうにすらなれない自分にイライラする。

当事者の人たちにはもの凄く失礼を承知で言うけれど、発達障害の免罪符(ダメな人間でも許される権利に近いもの)すらないただの出来損ないの人間のような何かだ。

 

でもリンク先の【ふつうの人たち】は、そんな私を『自己評価が高すぎる』とあざ笑う。「どれだけ努力しようと決してふつうにはなれない出来損ないのくせにそれが認められない愚か者」そういう風に私は私自身を解釈するのが適当らしい。

 

まあ、その通りなのかなぁ。私は思った。

 

たしかにダメな自分を認めれば楽になる。どれだけ努力しても、どれだけスポクラで重量をあげようと。私より絵がうまいひとは掃いて捨ててもキリがないし、私はデブスなままだ。ここから美人に生まれ変わることは加齢を加味しても絶対にありえない。

私が必死になって身に着けたスキルも、才能が人並みにある(恵まれている、ですらない)若者が一時間も練習すればあっさり追い抜いていく。

私にできることは誰でもできる。ゆえに私が誰かに認められることはないし、誰かに必要とされることは絶対ない。

 

というか、認められたりされる権利はそもそも私にはない。

 

とにかく、総じて私は無能なのだ。あらゆる意味において。

 

がんばっても無駄だ。意味がない。

 

それを認め、諦め、受け入れることが私に課せられた自己肯定感。

そういうわけで、私は今自己肯定感が非常に高い状態である。

なぜならば私はできそこないでありどんな努力をしても無駄。あらゆる意味において自分に期待することをやめ、ぼんやりと低賃金で極貧生活を送ることが私にふさわしい。もちろん将来は迷惑をかけるだけなので孤独に死に、蛆が湧いたご遺体で発見される。

 

そんな将来が約束されている。それを受け入れることが「自己肯定感が高い」ということなのでしょう。

じゃあ今私自己肯定感が高いってことだよね。今とっても幸せです。

 

あーあくっだらねえ人生。とにかく早く死にたい。