ですちごと

今一度輝きたいアンデッドです。ゲーム実況にもあそびにきてね。

私が書く必要なんてどこにもない

誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ

 

私が思ったことなんてとっくの昔に誰かが思いついていて、私なんかよりよっぽど緻密でわかりやすく、なおかつエビデンスや事実や歴史に基づき、おまけにユーモアや皮肉を交えた飽きさせず美しい文章で私が言いたかったよりはるか髙いレベルのことを語るのである。端的にまとめれば教養が違う。

この記事の存在そのものが私が書く必要なんてどこにもないことの証明以外の何物でもない。

 

私はいわゆるインターネット老人会の世代です。初めて家にPCが導入されたのが中学一年生のころ。その頃はPCを触るのが、インターネットを使うのがとにかく楽しくて毎晩遅くまでMSNのチャットに入り浸っていたことを思い出します。あのころはHotmailが強かったし、検索はGoogleじゃなくてYahoo!を使っていました。PCに慣れている子はYahooのURLとか暗記していてすげえなぁと思いました。

さて、私みたいな筋金入りのアニゲ好きがインターネットに慣れだすと次第に出会うのが個人サイトになります。これも冒頭のURLの通り。

今は亡きYahoo!ジオシティーズや忍者ツールでスペースを借り、夢小説サイトなんぞを作っておりました。使用ソフトはもちろんPCにプリインストールされていたホームページビルダーだし、HPのトップには一生懸命つくったMS明朝のグラデーション付きクソダサロゴのタイトルとマウスで描いた下手くそな跡部様とかを載せてた記憶があります。

 

子供なりにHTMLことタグの勉強をし、一生懸命作ったホームページでしたが、何が悪かったのかすべてが悪かったのか、誰からも見向きもされることなくこのHPは放置の憂き目に遭いました。これが私の表現者としての初めての挫折だったと思います。

まあシンプルに頭のよくない中学生の書く小説なんか拙すぎて誰も読まないっていう話ですが、そんなこと当時の私はわかりませんでした。

 

次にHPを作ったのはガラケーでした。大学生のころ音ゲー、とりわけポップンミュージックにはまり、あとイナズマイレブンにはまり夢小説サイトをフォレストで作ることになるのです。とくにゲレゲレと土門飛鳥がお気に入りでした。不気味な小枝という蔑称を考えた人は天才だと思います。

このころになるとHPといっても運営側でデザインがかなりたくさん用意されていて、知識があまりなくてもかなり気軽に作成できるようになっていました。1ページ3000字程度の制限こそありましたが、大して文字数を書けない人間だったので気にもなりませんでした。今思うとよくあのガラケーで文字打ってたなぁと我ながら感心します。というか文字数打てない理由の大半ガラケーじゃね?

中学の頃作ってたHPに較べたら多少見られたかとは思いますが、結局挫折しました。見られないってやっぱりきつかったのです。

 

成人もしたことだし夢小説はこれを機に卒業しました。Twitterもやっていましたが別にここでも成功はしませんでした。

代わりに私の元に降りた耳障りのいい言葉はブンブン言ってるあの人の言葉でした。

 

「好きなことで生きていく」

 

youtubeです。これが最悪でした。

とはいえ私は運がいい方だったと思います。あの頃は垂れ流しに近いような適当編集ゲーム実況動画でも結構再生されたし、チャンネル登録者数も1000人超えてました。私でも。が、それで生計を立てることができるかというとそんなわけもなく、鳴かず飛ばずで消えていく、というのも相応しくない。そもそも出てきてもいないのだから、消えるはずもありません。ゲロウジーム未満の存在感でした。

あと仕事が多忙になるにつれて動画編集は比例するようにできなくなっていきました。めちゃくちゃ時間がかかるんですよね。真面目にやると。

 

一方、文字書きとしてですがドラクエ11にはまり夢小説サイトを立ち上げました。正確にカウントしてはいませんが、このころになると長文を書くことにも慣れ、短編長編併せて累計30万字以上書いたりなんかもしましたが、やはり誰も見てくれず挫折をすることになりました。それでもそれだけの文字数を書いたのはひとえにシルビアさんに強い熱意があったからです。キーワード入れて検索したら出ますので、興味がある方は覗いてみてください。

 

まぁそんな感じで表現者として私の人生はひたすらに孤独で誰からも見てもらえない寂しいものでした。というのも当たり前で、クオリティの高いものは何も書けず、ブログなんかでずっとくだを巻くだけの日々。まあそりゃ誰からも相手にされないというのも当たり前で、表現者として食っていくどころか趣味の二次創作ですらこの始末でした。

 

表現者を名乗るのは簡単ですが、他者からの評価がなくて何が表現者でしょうか。別に作りたきゃ作ればいいというのもまた正論ですが、自分がいいと思えばいいというのも絶対的に正しいですってそんなわけがない。

表現する人は他人に見てもらいたいのです。上手に作った、感情が揺さぶられた、そういう評価がほしいのです。当たり前です。

人間は認められたい生き物なのですから。私だってそうです。

PV気にしないなどと言ってますがすっぱい葡萄の寓話と同じ。人間は大なり小なり承認を求める生き物で、インターネットという広大な世界ではあるいは、自分を評価してくれる人がいるかもしれない。そんな夢が見ることができる場所でした。

あなたの作品はすてきだね、って言われてあなたの作品もねと返して、和気あいあいとできればそれでよかったのです。

 

しかしそんなことを思うのは我々凡人はもちろん、いわゆる神と呼ばれる方々も当然同じです。そして和気あいあいとできる表現者は神かそうでなければ人の目を向けるのが得意な人たちだけです。

 

私たちの居場所はインターネットには初めからありませんでした。もちろんこれは収益がどうとかいう話以前の問題です。インターネットはたしかに誰でも作品を発表できますが、必要とされているのは、見てもらえるのはごく一部の人たちだけなのです。作品を見るのは無料かもしれませんが時間は有限なので、下手くそな人の絵や小説を見る時間なんかみんなないのです。

そしてその中の更に上澄みがその分野で食っていけるということになります。

 

上記のブログでは文中でタイトルを「表現者になることを夢見る時代は終わった」と訂正し述べています。もう本当にその通りで、Twitterにはもはや神しかイラストをアップしていないような状況が現実です。私が書く必要は今となってはどこにもないので、もう書いていません。時々素人目にあまり上手じゃない人がアップしていますが、楽しそうで皮肉抜きにうらやましいと思います。自分は必要とされていないとまだ気づけていない人は幸せです。あるいはニッチなジャンルなら、神がいない場所ならば、お金が絡まなければ楽しくやっていけるのかもしれません。

なんにしろ羨ましい話だし、私は創作をもう楽しめなくなりました。

だからもう二次創作はしていません。私が書かなくても、私よりドラクエ11が好きな人が私よりよっぽどすばらしいシルビアさんを書いてくれているはずです。

 

ブログは惰性というか、独り言というか。じゃあアップしなきゃいいんですけどね。私の文章なんぞ何の価値もないのだから。

なんで私はブログを続けているのだろうか。悩ましくて近頃仕方ありません。

もっと文章をたくさん書けば少しは何かが変わるのだろうか。きっと今度も何も変わらないんだろうけれど、それでも言わずにいれないから言っているのです。