ブログの継続って難しいので執筆のハードルを下げるべき
ネタがない、気が乗らない、なんかいい文章が浮かばない、忙しい、時間がない、眠い、酒飲んだ、ネタがない。ネタがない。ほんとない。
- 最初の何を書いていいのかわからない、→書けるネタがないと本気で思っている本当に初心者
- 大層なことを継続して書けなかったことで、ブログを挫折したことがある人たち
- 読者はあなたに興味ない
- 読者に寄り添い悩みを解決できる内容でなければ価値がない
- きれいに体裁を整えたブログじゃなければ誰も読まない。
- ターゲティングした読者の益になるネタを選定
- タイトルは32字程度でキーワードを盛り込み求心力のあるものに。キーワードツールなども駆使する。メジャーなキーワードでは企業に負けるのでニッチ層を狙うようにする
- 1記事をキーワードを意識しつつ3000字以上書く。PREP法に沿った記事構成。
- 読者に寄り添い、結論は一番に出すことで信用を得る
- 箇条書きやボックス、目次などを駆使してみやすくてきれいな装飾を心がける。
私が書く必要なんてどこにもない
誰もが表現者になれる時代はとっくに終わってるんだよ
私が思ったことなんてとっくの昔に誰かが思いついていて、私なんかよりよっぽど緻密でわかりやすく、なおかつエビデンスや事実や歴史に基づき、おまけにユーモアや皮肉を交えた飽きさせず美しい文章で私が言いたかったよりはるか髙いレベルのことを語るのである。端的にまとめれば教養が違う。
この記事の存在そのものが私が書く必要なんてどこにもないことの証明以外の何物でもない。
私はいわゆるインターネット老人会の世代です。初めて家にPCが導入されたのが中学一年生のころ。その頃はPCを触るのが、インターネットを使うのがとにかく楽しくて毎晩遅くまでMSNのチャットに入り浸っていたことを思い出します。あのころはHotmailが強かったし、検索はGoogleじゃなくてYahoo!を使っていました。PCに慣れている子はYahooのURLとか暗記していてすげえなぁと思いました。
さて、私みたいな筋金入りのアニゲ好きがインターネットに慣れだすと次第に出会うのが個人サイトになります。これも冒頭のURLの通り。
今は亡きYahoo!ジオシティーズや忍者ツールでスペースを借り、夢小説サイトなんぞを作っておりました。使用ソフトはもちろんPCにプリインストールされていたホームページビルダーだし、HPのトップには一生懸命つくったMS明朝のグラデーション付きクソダサロゴのタイトルとマウスで描いた下手くそな跡部様とかを載せてた記憶があります。
子供なりにHTMLことタグの勉強をし、一生懸命作ったホームページでしたが、何が悪かったのかすべてが悪かったのか、誰からも見向きもされることなくこのHPは放置の憂き目に遭いました。これが私の表現者としての初めての挫折だったと思います。
まあシンプルに頭のよくない中学生の書く小説なんか拙すぎて誰も読まないっていう話ですが、そんなこと当時の私はわかりませんでした。
次にHPを作ったのはガラケーでした。大学生のころ音ゲー、とりわけポップンミュージックにはまり、あとイナズマイレブンにはまり夢小説サイトをフォレストで作ることになるのです。とくにゲレゲレと土門飛鳥がお気に入りでした。不気味な小枝という蔑称を考えた人は天才だと思います。
このころになるとHPといっても運営側でデザインがかなりたくさん用意されていて、知識があまりなくてもかなり気軽に作成できるようになっていました。1ページ3000字程度の制限こそありましたが、大して文字数を書けない人間だったので気にもなりませんでした。今思うとよくあのガラケーで文字打ってたなぁと我ながら感心します。というか文字数打てない理由の大半ガラケーじゃね?
中学の頃作ってたHPに較べたら多少見られたかとは思いますが、結局挫折しました。見られないってやっぱりきつかったのです。
成人もしたことだし夢小説はこれを機に卒業しました。Twitterもやっていましたが別にここでも成功はしませんでした。
代わりに私の元に降りた耳障りのいい言葉はブンブン言ってるあの人の言葉でした。
「好きなことで生きていく」
youtubeです。これが最悪でした。
とはいえ私は運がいい方だったと思います。あの頃は垂れ流しに近いような適当編集ゲーム実況動画でも結構再生されたし、チャンネル登録者数も1000人超えてました。私でも。が、それで生計を立てることができるかというとそんなわけもなく、鳴かず飛ばずで消えていく、というのも相応しくない。そもそも出てきてもいないのだから、消えるはずもありません。ゲロウジーム未満の存在感でした。
あと仕事が多忙になるにつれて動画編集は比例するようにできなくなっていきました。めちゃくちゃ時間がかかるんですよね。真面目にやると。
一方、文字書きとしてですがドラクエ11にはまり夢小説サイトを立ち上げました。正確にカウントしてはいませんが、このころになると長文を書くことにも慣れ、短編長編併せて累計30万字以上書いたりなんかもしましたが、やはり誰も見てくれず挫折をすることになりました。それでもそれだけの文字数を書いたのはひとえにシルビアさんに強い熱意があったからです。キーワード入れて検索したら出ますので、興味がある方は覗いてみてください。
まぁそんな感じで表現者として私の人生はひたすらに孤独で誰からも見てもらえない寂しいものでした。というのも当たり前で、クオリティの高いものは何も書けず、ブログなんかでずっとくだを巻くだけの日々。まあそりゃ誰からも相手にされないというのも当たり前で、表現者として食っていくどころか趣味の二次創作ですらこの始末でした。
表現者を名乗るのは簡単ですが、他者からの評価がなくて何が表現者でしょうか。別に作りたきゃ作ればいいというのもまた正論ですが、自分がいいと思えばいいというのも絶対的に正しいですってそんなわけがない。
表現する人は他人に見てもらいたいのです。上手に作った、感情が揺さぶられた、そういう評価がほしいのです。当たり前です。
人間は認められたい生き物なのですから。私だってそうです。
PV気にしないなどと言ってますがすっぱい葡萄の寓話と同じ。人間は大なり小なり承認を求める生き物で、インターネットという広大な世界ではあるいは、自分を評価してくれる人がいるかもしれない。そんな夢が見ることができる場所でした。
あなたの作品はすてきだね、って言われてあなたの作品もねと返して、和気あいあいとできればそれでよかったのです。
しかしそんなことを思うのは我々凡人はもちろん、いわゆる神と呼ばれる方々も当然同じです。そして和気あいあいとできる表現者は神かそうでなければ人の目を向けるのが得意な人たちだけです。
私たちの居場所はインターネットには初めからありませんでした。もちろんこれは収益がどうとかいう話以前の問題です。インターネットはたしかに誰でも作品を発表できますが、必要とされているのは、見てもらえるのはごく一部の人たちだけなのです。作品を見るのは無料かもしれませんが時間は有限なので、下手くそな人の絵や小説を見る時間なんかみんなないのです。
そしてその中の更に上澄みがその分野で食っていけるということになります。
上記のブログでは文中でタイトルを「表現者になることを夢見る時代は終わった」と訂正し述べています。もう本当にその通りで、Twitterにはもはや神しかイラストをアップしていないような状況が現実です。私が書く必要は今となってはどこにもないので、もう書いていません。時々素人目にあまり上手じゃない人がアップしていますが、楽しそうで皮肉抜きにうらやましいと思います。自分は必要とされていないとまだ気づけていない人は幸せです。あるいはニッチなジャンルなら、神がいない場所ならば、お金が絡まなければ楽しくやっていけるのかもしれません。
なんにしろ羨ましい話だし、私は創作をもう楽しめなくなりました。
だからもう二次創作はしていません。私が書かなくても、私よりドラクエ11が好きな人が私よりよっぽどすばらしいシルビアさんを書いてくれているはずです。
ブログは惰性というか、独り言というか。じゃあアップしなきゃいいんですけどね。私の文章なんぞ何の価値もないのだから。
なんで私はブログを続けているのだろうか。悩ましくて近頃仕方ありません。
もっと文章をたくさん書けば少しは何かが変わるのだろうか。きっと今度も何も変わらないんだろうけれど、それでも言わずにいれないから言っているのです。
わたしがブログを書く理由
今週のお題でございます。
ゆーてブログ初めてまだそんな記事数も書いてなくて、何を言おうと何の説得力もない戯言でしかないのですが、お題に乗っかって自分語りするだけで記事が一つできるのだからやっとくかーっていう具合。要するにノリと勢い。
言いたいことがあるから言う。書きたいから書く。それだけのゆるぅいノリでブログを再開しました。150字くらいで結論出ましたね草
このクソッタレな世界に反逆し、おれたちの音楽を聴けとエレキギターをかき鳴らすにはちょいと年を取りすぎました。
っていうか別に世の中にそこまでの不満はないっていうか、まあ薄っすらはあるんですよ。仕事がうまくいかないとか、人間関係がうまくいかないとか、政治が悪いとか。それを作品にして表現するエネルギーはもうすでに枯れていて、好きなものを好きだと表現するエネルギーもやっぱり枯れていて、あらたな物を生み出す脳神経もとっくに焼き切れておりまして。
それでも残った【なんかやりてえな】って気分と【文章を書きたい】【タイピングをしたい】っていう些細な願望です。本当に。
私よりよっぽど頭のいい人が私の不満もアイデアも、よっぽど上手に互換して更にすばらしいアイデアとして外部に表現しているので、私の文章には収益化とか以前に本当に1円の価値もありません。そんなことは100も200も承知なのですが、もはやこういうのが何番煎じなのかも想像がつかないのですが、需要がないなんて言葉も親の説教より聞きましたが、まあ要するにこうやって文章を考えて出力して推敲(最近あんましてない)して投稿、SNSで更新したと申し上げる。つまり超時間の無駄。無駄無駄無駄無駄。
じゃあ書かなきゃいいのに。とも100も200も1000も思いましたが、またブログ運営に飽きるまではまたぼちぼちとくだらない文章を、電子のゴミをインターネットにポイ捨てしてGoogleから嫌な顔で見られようと思います。あ?こんな底辺にすらなれない塵みたいなブログなんぞ顔向けてもくれない?
ひぃん仰るとおりですぅ。
今後の目標はPV1日2桁です。言ってることがアンダーテールのパピルスだって今気づきました。↓こいつ
うーんブログを作りなおした方がすぐ開始ブーストですぐ達成しそうだな…
つーかパピルスかわいいなぁ。。。かわいいなぁ(二回目)
そういやブログを作り直すか否か結構迷っております。PV気にしないなどとは言いましたが、PV最大3の日々はやっぱつれぇわ。
悪役令嬢の中の人の漫画の方を買っちゃったのでレビューなど
悪役令嬢の中の人
TwitterのTLでそれはもう偶然出会い、試し読みをした漫画です。
元はなろうで連載されていた、全13話の長編としてはやや短めの物語。
内容は比較的王道(?)寄りの転生系悪役令嬢復讐物です。
繊細な絵柄で、ともすればそのまま少女漫画を描いているのではないか。そう思わせるような華やかな空気で、聖女の仮面を被り周囲を欺きながら、苛烈に目的に向かって邁進する悪役令嬢の姿はぜひ読んでみてほしいなぁと思います。
小説版は比較的展開があっさり味ですが漫画ではエピソードが増えていたりしますので、どちらも読んでいくのがいいのではないかなぁと思います。
多分小説版の結末は強烈すぎて漫画版では変わりそうな気がします。です。
悪役令嬢の中の人小説版はこちらから飛べるよ
【あらすじ】
乙女ゲームの世界に悪役令嬢にしてボスのひとり【レミリア】役として転生した【エミ】が、推しキャラであるレミリアをなんとか幸せにしようと努力を重ねます。エミは前世で培った現代日本やゲームの知識や技術、生来の人の好さを駆使し研鑽し、完璧な公爵令嬢レミリアとして、本来の物語では敵対するはずだった【婚約者ウィリアルド】【義弟クロード】【騎士デイビッド】【音楽家ステファン】とも良好な関係を築いていきます。
彼女が通う学園でもその評判はいい意味で留まること知らず、レミリアを慕うたくさんの学友に囲まれ、エミは幸せに過ごします。
が、幸せも長くは続きませんでした。
とうとうゲームの本来の主人公たる星の乙女【ピナ】が編入してくるのです。
世の中色んな悪女が存在しますが、1コマ目でこいつあかんってなる女子は中々いないんじゃないでしょうか。たとえ灰になってもの†姫蘭†ちゃんだって初登場時はもうちょっと体裁が繕えていました。でもエネリーは怪しかったな。
一生推すよ†姫蘭†ちゃん
さて、あらすじにもどります。まあ見てくれはともかくどう甘く見積もっても性根がやばそうな星の乙女ですが、案の定転生者であり、そして性格がとにかくヤベエ女でした。
手始めとばかり同じ転生者であるレミリアをゲームの知識でズルしているクズとなじり、学校内のウィリアルドをはじめとした上記イケメン四人(実はゲームでは攻略対象キャラ)を奪おうとあの手この手で画策していきます。
とはいえ貴族出身の彼らですので、庶民の子でしかない上に礼儀を知らないピナのことは当初は誰も相手にしませんでした。しかしながら転んでもただでは起きないメンタルはやはり主人公に必須の素質と言えるのか、ピナはゲームでいうところの【課金アイテム】に手を出し、攻略対象の男たちはおろか校内の生徒やお付きの者に至るまで徹底的に好感度を操作し、ついにはレミリアを嫌な女として孤立させることに成功します。
そして仕上げとして自らに【悪の令嬢レミリア】が手を下した工作をして完璧な被害者となりすまし、レミリアを学園から追放することに成功します。
一方やられっぱなしのエミは今まで推しが幸せになるため重ねた努力もむなしく積み上げたものをすべて失い信用していたすべてに裏切られ、冤罪を訴えても受け入れられず、ウィリアルドから婚約を破棄され、すっかりこの世界に絶望してしまします。
こうして彼女の意識は深く闇へと沈んだかと思われました。
しかしたった一人だけ、エミの絶対的な味方がいたのでした。
それこそがエミに人格を明け渡した張本人絶対悪の令嬢レミリアです。
彼女は持ち前の頭脳で絶体絶命のピンチを切り抜けます。それでも僻地への追放は免れませんでしたが、ここでも悪役として狡猾に立ち回り、追放された先で有利に動くことができるよう一手一手進めていきます。
すべては親にも愛されず孤独な幼少期を過ごしたレミリアをその温かさで救い、愛を教えた女性【エミ】を今度は自分が救うため。優しい彼女が再び目覚めた時、何のてらいもなく幸せに暮らすことができる世界を作るため。
そのためには邪神に汚染されつつある世界を救うことも、エミをハメたピナやエミを裏切った男たちを排除することも厭いません。
というわけで真の主人公はこのラスボスみたいな顔をした悪役令嬢レミリアになります。もうこの時点で星の乙女詰んでますやんと思わせる壮絶な表情。
ゲームでは自分の願望のために世界を滅ぼすことができるほどの巨悪の感情はたった一人の女の子を救うことに向けられ、そしてヘイトは彼女をハメたこの国中、とりわけピナに向けられます。
レミリアはゲームとは違い愛すことも愛されることもエミのおかげで知ることができました。かといって、善人に改心したわけではないので本質としての彼女は邪悪は邪悪。
とはいえラスボス特有のクソデカ感情でエミエミ言ってるのは忠犬のようで本当にかわいいです。エミの人格はすばらしいとは思いますが、レミリアの中でガンガン理想の人物レベルがあがってる気がするので早めに目覚めた方がいいと思う。
【公式チート】とまで称されたレミリアが、どのようにして廃村同然の村の村長から成り上がりピナの喉元に剣を突きつけるのか。彼女自体がやばいくらい有能なので話はおどろくほどサクサク進みますので飽きがきません。あと絵がきれいだし、何よりレミリアの顔めっちゃ好きです。てか人気キャラやろこんな顔面の人乙女ゲームにいたら多分私も絶対推すわ。
といいつつ時折現れる小悪党ビッチのピナ氏の顔芸とかも好きです。一応彼女は正統派の美少女のはずなのですが、それを生かす気が全くないところが好きです。時々まともにかわいい顔したらちょっと嬉しくなります。人間性は網浜さんを更に劣化させた感じなんですけどね。。。
現在3巻まで出ていますが、今後も楽しみな作品です。無料分だけでも展開が早く面白いのでぜひ見てみてください。
読まれない記事の書き方
控えめに申し上げまして、私のブログは誰からも読まれません。
今日のPVは0です。昨日のPVは記事を挙げたから3ありました。うち少なくとも2は私がアクセスしたものです。
書きあがったらちゃんとXくん(旧Twitter)に投稿しているにも関わらず誰も私の記事を読んでくれません。
悲しくて悲しくて、つい【ブログ 読まれない】などと検索してしまうのですが【雑記および日記ブログは読まれない】といちいち記事で切って捨てられ、更に悲しい思いをする日々なのです。そう要するに正論過ぎてぐうの音も出ねえというやつです。
誰が私の日記なんて、考えていることなんて文章なんて読みたいと思う?思わねえだろふつう。みんなそんなに暇じゃねえ。むしろなんで私がブログ作ってる暇なんかないんですよねそもそも。当たり前のことなのですが、人間切羽詰まると文章を書きたくなるものなのです。不思議と。
たとえば私がもっと頭がよくって、かわいくて、読んだ人が何かしらの学びを得ることができるような記事を書くことができれば。もしかしたらブログで食えたのかもしれませんが現実はばかだしかわいくないし、読者は学びを得るどころか存在しないのでこうなるのもむべなるかな。
つまりSEO対策、キーワード検索とミンミンゼミよりうるさくかつ私よりよっぽどツマラナイ文章を書くどう見ても底辺ブロガーの皆さんの方がよっぽど正しいのです。
これではいかんと奮起しようとも思ったのですが、どうやら私はああいった『読まれることを目的とした記事』を書くのが生理的に受け付けないみたいなんです。もちろんその劣化AIみたいな記事を書く方たちのことを馬鹿にする意図はありません。ただ生理的に受け付けないだけなんです。ひとで氏とかのような偉大な脱サラブロガーを目指して書きたくもない『ためになる記事』を必死になって打って1000文字だ3000文字だ10000文字だと、それを100記事は書けと必死にのたまいPVをかき集めようとする様は滑稽というかいっそ愛しく見えてきます。
口を開けばああいった商業ブログの悪口しか出てきません。悲し悲しやいと悲し。
2000年代くらいからコツコツと積み上げすでに売れている人はともかくとして、今日日ブログで生計を立てようとすること自体が正直どうかと思っていますので、まあ諦めて好きなことを書きゃいいのにと思います。どうせ企業ブログにはSEO対策しようが勝てないので、そんなに文章で飯を食いたきゃ一文字いくらで書きゃいいんですよクラウドワークスとかで。
ブログによる資産の積み立てなんて、まあ嘘は言ってないのでしょうが、嘘は言ってないだけだと思います。だって冗長な、Googleのご機嫌伺いをするようなだけのAI未満のつまんねえ文章なんてあっても結局しょうがない。100均のこども銀行の札束で1おくまんえん作って僕はお金持ちなんだぞーとか威張ってるようなもんですよ多分。
まあそんなこと言ってる私ですが、結局誰も私の記事なんぞ読んでいないからこんなことが言えるというのもまた真なり。ブログって結局読まれないことにはなんの価値もないので、私のブログの価値はこども銀行未満っていうことです。
まあ別にそれはそれでもいいのです。もうPVもあまりこだわらないことにしました。どうせ誰も読まないので。なんかブログ復活した時にも触れましたが、今は文章を書くことそのものを楽しむことを極力努力しています。誰もいなくて寂しくないといえばウソではありますが、それでも文章をなんの縛りもなく自由に書けることはただ一言、楽しいです。
また自分は自己プロデュース能力が非常に乏しいのと、数記事書いて気づきましたがこりゃ仕事は無理だなと。売れる文章って私あんまり好きじゃないから明治時代とかに産まれたかったなって今思いました。
このまま終わると非常にタイトルと齟齬が生じるので、底辺商業ブロガーさんたちが挙げる読まれない文章をいくつか挙げて締めたいと思います。ほらタメになるだろ?タメになれ。
- ターゲットが設定されてない
読者は30代のはたらく女性を想定して、となるとアンチエイジングの方法とか、年齢ごまかせるお化粧の方法とかを紹介。30代の女性となると高確率で結婚をしていて、子供とかもいて、仕事もある可能性も低くはないので、時短テクニックも網羅して、みたいなアレ。誰が読むのか、誰に読ませたいのかを想定していないと記事の方向性がブレブレになってしまいます。
- 結論を先に言わない冗長なブログ
一文が長いとか、結論が遅いとか。よく言われるのはPREP法(ざっくり言えば結論、根拠、事例、最後にもう一度結論を述べる文章作成法)に則して文章を書けと。読者は早く結論は知りたいと。ここだけは同意。とはいえそうなると1記事3000字もいらねーんじゃねーっすかねとツッコミを入れたくはなりますが。
- 文章を装飾しなくてダサい
おおおおい!!銀魂ツッコミの魂でも受け継いでんのかよおおおお!!!!????
こういうことらしいです。インターネット老人の私からしたら意味もなく色彩豊かな文章の方がよっぽどダサく見えるのですが、人気ブロガー()さんからしたらそんなことないらしいです()
- 読者のためにならない記事
- 1000文字以下の記事
読者も暇ではありません。ゆえに利益にならない文章はそもそも読みません。読者によりそい、悩みを解決できるような文章を書けるようになりましょう。
本当に読者に寄り添うためなら、知識を網羅し何千字でも書けるそうです。
…って言いながら同じ言葉を繰り返すのは本当に読者のためになるんでしょうか?
Googleのシステムは知りませんが、少なくとも読者は目が滑りますよね。
あと結論しか読者は求めていないのに、何千字も書いても読者も困惑ものではないでしょうか。結論しか読む暇ないくらい急いでるのに。
たぶん有名なブロガーさんの受け売りなんでしょうね。
藤原将先生なんかは最序盤で文章は簡潔にしろとお教えくださいます。
人に読んでもらう文章なんだからまさしく当たり前ですよね。
今ならキンドルアンリミテッドで無料で読めるので、ブロガーを志す方は一度は読んでおいて損はない本だと思います。
【結論】
いろんなところから情報をかき集めてきた【読まれないブログ】の特徴ですが、それはもう見事に私のブログにはまっていました。わざわざ読まれない要素という要素をかき集めて私のブログは完成したのだと思うと感慨もひとしお。これからもがんばっていろんな記事を書いて、お天道様に中指ぶっ立てていこうと思いました。何もしてないお天道様がかわいそう。いや暑かったからやっぱ許さん。
あの頃の音ゲーを懐かしむ。
PREP法になぞらえて結論から申し上げますともう以下一択になるのかなと思います
在るが儘に/Des-ROW・組スペシアルr
ですね。Des-ROWの信者をやるなら必聴ナンバーのひとつだと思っています。
これまで私がこの方の曲で一番好きだったのはLOVE D RIVEだったりはしたのですが、
今となっては典型的ともいえるD-crew大得意の泣きメロ、5鍵はサブタイトルFINALにてその生涯を終えるのですが、同作で発表されたone seekと共にその最期を看取ろうという気概をとにかく強く感じます。つまりは一言でまとめるに非常に切ない曲で、それはもう見事にはまり、a-no-ther/dayとともに4桁というヘビロテの果てにDes-ROW信者と化したという経緯があります。信者ではありますが表記はめんどくせえなあと正直いつも思っております。
今まで挙げた曲はもちろん名曲ではあります。tierで言えばいずれもS~SSは確実。Bemaniと銘打たれたブランドの曲でも一番好きだという人は結構いると思います。特にOne Seekなんかは当時の5鍵プレイヤーであれば泣かない人はいなかったのではないかと想像してます。ごめんここまで5鍵語っといて難だけど5鍵盤プレイしたことないんですよね。たぶんこのころ太鼓の達人とかやってた。
本当はめっちゃやってみたいのだけどLOVE D RIVE。ポップンでのあの曲は判定が辛いのが取り柄の逆詐称40(今で言うとこの46相当)などと小馬鹿にされていましたが、出身ナンバーでは辛判定&ゲージの難曲という位置づけだったそうです。やってみてえけど稼働してから20年経ってて色々きっついんでポップンで我慢せざるを得ない。
さて、オレ、LOVE D RIVEのことやっぱ好きだわ!と再認識したところでそろそろ在るが儘にの話に戻りたいと思います。PREP法とは一体何だったんだ。
【在るが儘に】は2016年に開催されたbemani rock fes’16のために書き下ろされた曲です。歌詞を聞けばもうなんていうか、昔の、それこそ5鍵がふつうのゲーセンで稼働していたり、DDRの一般的な略称がまだダンレボだった頃だったり、ポップンミュージックというゲームが女子供むけとみなされていた頃のプレイヤーに向けられた、そんな曲でした。ノスタルジーを感じさせつつも激しくいつものDes-ROW・組で、スペシアルで、そしてまさしく私たちに向けられた曲なんだと理解するにはあまりにも容易で。
そして何度も繰り返しますが過ぎ去っていく懐かしいかがやきをどこか惜しむような泣きメロ。あわただしく過ぎ去っていく日々を積み重ねた思い出をもとに在るが儘に乗り切っていく。地平線までぶち抜いていく。
これが先生や組の集大成であるのだと思いました。
もちろんLOVE D RIVEや大見解、CURUSやFunky sonic Worldといった面々もそれぞれ輝いているのですが、在るが儘にの異質なところはおそらくDes-ROW先生が書いた曲のどんな一つが欠けてもこうはなっていなかったのではないか。そうなんの疑いもなく思わせるところだと思います。
この曲をライブで初めて聴いたとき、まさしく衝撃を受けました。と同時、Des-ROW先生の信者をしていて本当によかったと思いました。
そんな感じで大切に大切に聴いています。もちろんロック(個人的にジャンル名をつけるならコアロック2だと思ってるし担当はゲレゲレかDTOの方が相応しかったと思ってるけど古参人気Desキャラつったら六かハヤトなのでまあハヤトも納得か。っていってもDTOとナンバリング1しか違わねーじゃねえかリュータはどうした。わかってんのか音ゲーが廃れたのは高難易度と外部アーティストだらけになったからだろうが金とんのかよクソッタレ)なので聴いていてテンションがあがるというのも間違いなく、テーマとはずれていないと思います。きっとたぶん大丈夫。
とりあえず聴いてみてほしいんですが、最後に在るが儘にの好きな部分を羅列します。聴きながら以下のリストを見てもらうと、この曲の魅力もわかりやすいのではないかと思います。
- 開始0秒ギターの1音目…先生のギターです。もう1音目がすでに有り余るカッコよさ。かっこいいの国からやってきたかっこいいギターです。何言ってるかわからん。この音のギターを当時の先生めっちゃ多様してる気がしますが、お気に入りだったんでしょうかね。最高の前奏だと思います。
- おもしれーが先走ればご無沙汰するイマイチ…PREP法に乗っ取ったラップですね(違う)この曲のすべてがこの出だしに乗っかってるといって差し支えがないほどの強い強い結論。こんな面白おかしく生きたかったぜ私も。
- 七転べば八起きして何事にも8の字…Des-ROW先生が好きな言葉なんだろうなとおもってほっこりしました。
- 予定帳や予定調和…組のみんなが声を合わせるとこが好きです
- あ?もうどーしよう??楽しすぎて今日以上の明日が来るか悩んでいためでたすぎる年頃を懐かしんだ脂ぎった中年のお中元は家で馬鹿にせずにここで生で感じな…演者もファンも年を取ったんだなぁとほろりとした一言。組のみなさんはメンバーが様々入れ替わったり入れ替わらなかったりしながら2016年のライブの日を迎えたのだと思います。この歌詞を、あの場で、あの爆音と光の中浴びることができて私は成仏しました。
- 雪が全てを白く染めるように月が静かに世界照らすように花が涙を流さず散っていくように在るが儘に…縦に読んで雪月花。まさかのヒプロ3です。あのライブは大見解と男々道はやっていたのですが、雪上断火はやっていませんでしたのでテンション垂直OKでした。あとふつうにきれいな歌詞。こういう美しい語句が時たまあるからDes-ROW信者はやめられねえのです。
- あ~あ~あ~ Ah ~あ~ あ~ あー Ahのなんかややコーラスがずいやなんでもない…今ならどの方のパートも歌えるくらい聴きこみましたとも
- ハッハァ…ほぼカットアウト。重なる不敵な笑いこれっすわ。これに尽きますわ。怖いものなんてなんにもないのです。在るが儘に突き進めばってか。
↑ちなみに在るが儘にのLong版を収録してる音源はポップンではなくリフレクのサントラなのでみんな気を付けようね!
そんな感じで書いてたら思ってた以上に好きなところしかなかったので、しかも歌詞ばっかで自分でも気持ち悪いなって引いたので、ちょっとこれ以降はまた後日時間があれば追記します。なんかそんなたくさん語れるか?って思ってたけど思ったより語れそうで震えてる。やべえなDes-ROW。ほんとどうかしてるくらい神曲しか書かないもんな。ボーカルも愛嬌があって好きです。でも淀川ジョルカエフとか低予算声優やってる方が輝いてるのだけは正直どうかと思います。なんであんなふつうに演技できてるんでしょうか。。。
最後に話がそれてすみませんでしたが、Des-ROW先生の新曲をあたいいつまでも待ってます。待ってる!
苦手だったもの:Excel
苦手だったもの。今回のお題は過去形。つまり今は得意じゃないといけないのです。
え、得意ってなんだ?出来損ないの私に得意などあるものかといつもの速攻☆魔法自己嫌悪を発動させながらそれでも暇つぶしに少しだけ自己分析をしてきたらトキワの森のピカチュウよろしくなんとか出てきたのがタイトルでした。
Excel。書類を作成するにおいて第一候補にいつも上がってくるアプリ。計算とかを自動でやってくれるアプリ。算数が苦手な人こそ活用すべきアプリなどとPC講師をやってた(ほぼ詐欺だろ)私の常套句でした。そんなExcelが、私は大の苦手でした。
中学生のころ情報という授業があった頃奴はおもむろに我々の前に現れました。
Wordのやつはまだ素直でした。範囲を選択してBのアイコン(BoldのBだと気づくのはまだ先の話)をクリックしたら文字が太く強調されるし、なんか斜めになったIのアイコン(ItalicのIだと気づくのは遥か遠い未来の話)をクリックしたら文字が斜めになるんです。もちろん、BとIをそれぞれ押すことで、文字を太く斜めにすることもできます。
なんと素晴らしい直感性!使い方を誰からも教えてもらわなくても、とりあえずキーボードを叩いてアイコンをかちゃかちゃやっていればなんらかの作品は完成するあの大らかさ!
そこにほれ込んだ私は当時まだ息をしていたワープロ検定2級などを取ったりするのでした。バカなので1級は無理でした。今なら無勉でもいけるかも。まあ存在すればですけども。
さてExcelの話に戻りますが、Excelの奴はWordに較べれば非常に気難しい性質をしています。まず、列と行が日本人の一般的な概念とは逆だったり、そもそもセルってなんやねんって話です。もちろん子供のころからドラゴンボールの信者だった私はこいつの顔しか思い浮かびませんでした。
かっこいいねえ。
今でこそExcelはWordとともにおそらく小学生から高齢者にいたるまであらゆる人間が一度は触れているアプリだと思います。しかし、私らが子どものころは多分本当にこういう認識だったのではないでしょうか。
もう本当にとっつきにくいやつで、計算するソフトですなんて技術の先生からは説明されたものの、【オートSUM=足し算】という機能でさえ【Σ】←こんな形のわけわかんないアイコンをクリックしなければいけないんです。【Σ】ってなんや見たことねえ記号だぞ、足し算は【+】だろ!と本気で憤っていました。ちなみに単純な関数での足し算であれば【+】は使用できたので当時の私は渋々納得していたのですが、掛け算は【×】ではなく【*】を使うことにキレる最高にめんどくさい中学生でした。割り算の【/】は分数とらんま1/2の存在によりなぜか許されていました。
そんなこんなでWordとはそこそこ仲良くできた中高生時代でしたが、Excelとはそれは見事に仲違い。成人して就職して、しょうもない販売リストをつくるのですら表の作成に関しては基本罫線を1本1本引くモンスターができあがったのでした。もちろん罫線を増やすには時短のために右クリック→コピーで増やすのです。これでPCできる人面してたのですから今思えばゾっとするんですが、私がこれまで就いた職はほとんどのところでExcelで四則計算ができれば充分みたいなレベルでよかったので、こんなんでもPCできる人面できていました。しかも私オートSUMはマスターしてたし。
ちなみにですが前職は条件付き書式が使えたらほぼほぼ神扱いでした。これよりPCできる人はたぶんテクニカルくらいしかいなかったのではないでしょうか。
そんなやべえExcel使いの私だったのですが転機が訪れます。前職を辞めた後もう就職したくなくて、それでも金ないのでとりあえずハロー!ワークでPCの勉強をするかぁとナメたことを思いながら講座案内を見て、天啓が舞い降りました。
『これ私が教える側じゃね?』
今思えばとんだ星の数ほどの勘違いと誤解と思い込みのらせんなんですが、とにもかくにも当時の私ははっきりとそう思ったことを覚えています。ほんの数年前ですが。
かくしてとあるPC教室で講師としてバイトに入り、自分がいかにofficeの扱いがあかん人かよくよく自覚させられたのですが、それでもExcelはとっても面白くて頼りになるものだということもよくよく理解したのでした。IF関数はもちろん、条件付書式や入力規則の手軽さや便利さ、作るまでは大変だけど、データを増やすごとにどんどん便利になっていくVlookup関数なんかは本当に大好きになりましたがグラフてめーはだめだ。
何より彼らには明確に正解があるのがいい。基本的に数式は1セルにつき1個までなので、何かミスをして狂っていたとしても、セル単位でチェックしていけば比較的容易に修正が効きます。もちろん労力はいりますが…。そしてデータの数が多ければ多いほどえらいことになるのですが、それはまあここでは別の話としてやってくださいませね。
で、どうしてこういうことを言うのかというと、Wordなんですがあいつ色々編集してるとどこをミスったのかわからなくなるのです。
いや、普通に仕事で文章作ったりするぶんにはいいのだけど、検定科目においてはこれまで長所として挙げていた【直感的操作が可能で、やっていればなんとなくそれなりの作品が完成する】が壁になってきます。
たとえば日商PC検定なんかは機械採点ですのでwordに関しては1行解答用紙の改行を消しちゃったりとか、インデントを数ミリミスることが本気で不合格につながります。
見た目ではわかんないです。機械判断です。これはマジでひどい。
ということで私はメンヘラのWordくんと別れ、理知的なExcelさんとお付き合いすることにしました。みんな祝ってくれていいよ。
あ、オチとか全然ないです。ありがとうございました。